錣山矩幸氏(元関脇寺尾)を迎え、第25期「DOがくもん」第2回講演会が開催されました

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2017.10.28

 本学と熊本日日新聞社が主催する公開講座第25期「DOがくもん」の第2回講演会が、10月28日(土)に本学14号館高橋守雄記念ホールで開催され、元関脇寺尾で錣山(しころやま)部屋師匠の錣山矩幸氏が「どすこい相撲人生」をテーマに講演。340名が聴講しました。
 
 錣山氏は井筒昭男親方(元関脇鶴ヶ嶺)の三男で、幼少期から厳格な父のもと育てられながらも、内向的な性格から、小学校時代にはいじめにあっていたことを告白。中学校で初めて心から友人と呼べる出会いがあったことが人生の大きな転換期になったと話し、「もう負けたくないと、自分の殻を破ることができた。支えてくれる人たちを失いたくないという気持ちが自分を強くしてくれた」と語りました。しかし、その後もバレーボール部やマラソン部、飛行隊研究部を転々とするなど、中学時代は相撲とはかけ離れた生活を送り、「当時は勉強も好きではなく、明確な目標ややりたいことがなかった」といいます。

 高校は相撲の強豪校である安田学園高校へ進学。それまで競技経験がないことから練習でも全く勝てず、「15年間、ほとんど感じたことがなかった負けん気がそこで出てきた。毎日夜9時半まで練習し、帰宅後も自主トレーニングや増量に励み、相撲にのめり込んだ。試合で初めて勝ったときのことは忘れられない」と当時を振り返りました。1979年、高校2年生のときに母を癌で亡くし、高校を中退して角界入りを決意。同年7月場所で初土俵を踏んでから1989年に三役関脇になるまでのエピソードや、28才のとき(1991年)に10才年下だった貴乃花に負けを喫し、悔しさをバネに稽古に励み続けたこと、38才で現役を終えるまでの心境などを熱く語りました。

 引退後は年寄・錣山を襲名。19名の力士を抱える部屋で後進の指導にあたっている現在は、「弟子の断髪式に、癌に侵されながらも懸命の力を振り絞って出席した二子山親方(元大関貴乃花)のように、死ぬまで弟子に寄り添える親方でありたい。また、お客様に喜んでいただけるような部屋づくりをめざしたい」と話しました。また、講演の最後には熊本地震の被害に対する想いを語り、「一日も早い熊本の復興を願っています」と締めくくりました。

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