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クマガクフォーカス KUMAGAKU
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幼いころからの夢をクライミングの世界で叶えた

熊本県山岳・スポーツクライミング連盟 理事
国体スポーツクライミング少年男子 熊本県代表監督

松永 美穂さん

Matsunaga Miho

クマガク人物伝

1992(平成4)年3月
熊本短期大学 社会科卒業

1970(昭和45)年8月、三重県生まれ。鹿本高等学校出身。短大で中学校保健体育教諭免許を取得。卒業後は熊本商科大学・熊本短期大学(当時)で嘱託職員として働きながら通信制大学に編入し、小学校教諭免許を取得。その後1996(平成8)年より調剤薬局に勤務。20代後半でクライミングを始め、43歳で国体出場。指導者資格を取得し、現在は国体スポーツクライミング少年男子熊本県代表の監督を務めている。

「先生になりたい」との思いで、短大へ入学

 若いころに抱いた夢や目標への道は、決して1本だけではない。ある人は一直線に、またある人は紆余曲折を経ながら、自分だけの道を選び取っていく。熊本短期大学卒業生の松永美穂さんも、短大時代から多くの岐路に立ちながら、自分だけの夢の形を見つけ、人生を輝かせている一人だ。
 松永さんの夢の始まりは、小学生のとき。当時の担任の先生が大好きで、「自分も先生になる!」と心に決めた。体を動かすことが大好きで、中学校ではソフトテニスを始めた。担任が3年間保健体育の担当だったこともあり、中学校保健体育教諭を志すようになった。しかし、志望していた大学に落ちて一浪することに。そんなとき、熊本短期大学に「社会科第一部生涯スポーツ専攻」が設置され、そこで中学校保健体育の教員免許が取得できることを知る。「実は関東の体育大学にも合格していたのですが、『地元で先生になれるのなら』と熊短を選んだんです」。松永さんにとって大きな選択の1つとなった。

充実の学生生活
そして迫られた選択肢

 短大では生涯スポーツ専攻ということで、体育の授業が豊富だった。なかでも印象に残っているのは、野外活動として行われた北海道でのスキー、阿蘇坊中野営場でのキャンプ、スケート実習や天草での遠泳。「いろんな経験ができたし、体育会系の仲間たちと修学旅行に4回行ったような感じで楽しかった」と当時を振り返る。ソフトテニス部にも入部し、授業以外は部活漬けの日々。当時は年2回あった熊本地区大学総合体育大会4連覇や、九州の年間個人ランキング上位進出などの実績を上げた。勉強も、部活も、青春も。2年間の学生生活を十二分に満喫する濃密な日々だった。
 短大卒業時、松永さんはまたしても大きな選択を迫られた。「実は、私立高校の教諭として就職の話をいただいたんです。とても悩んだのですが、小学校・中学校教諭になるという夢を諦めきれずお断りし、まずは働きながら小学校教諭の免許を取得する道を選びました」。クマガクの嘱託職員として働きながら通信制大学に編入し、小学校教諭の免許を取得。大学職員を退職して、教員の臨時採用をめざすもなかなか道が開けず、アルバイトなどをしながら教員採用試験に挑戦し続けることになった。そんななか、知り合いの縁から調剤薬局に就職することになり、現在も勤務している。「就職後に臨時採用の話があったけど受けられなかったこともあり、人生の岐路が何度もありました。『あのとき、別の道を選んでいたら』なんて思うこともありますが、それも含めて自分の人生だと思っています」

20代で出合ったクライミングが自分の人生の新しい軸に

 そんな松永さんだが、思いがけない形で夢が叶うことになる。きっかけは20代後半、社会人になって硬式テニスに挑戦するべく、テニススクールに通い始めたこと。そこで仲間ができ、皆でアウトドアを楽しむようになった。そしてある日、皆でボルダリングジムに遊びに行ったことが、大きな転機となった。「私はボルダリング初体験で、仲間と同じ課題を登れなかったことが悔しくて(笑)。生来の負けず嫌いに火がついてジムに通い始め、1カ月後には仲間より登れるようになりました」。そこから外岩へ登りに行ったり、岩場を開拓したりと、「クライミング」という新しい世界が開けた。山岳連盟傘下の山の会にも所属して、クライミングのロープワークを身につけるなど技術も習得し、山をもっと楽しむようになっていた。「実は高所は苦手なのですが(笑)、ボルダリングもルートクライミングも、登りきったときの達成感が一番の魅力ですね。それに、人見知りだけどクライミングのことになると気軽に声かけができます。クライミングが私の軸の1つになり、新しい自分を掘り起こしてくれたように思います」
 そして43歳のとき、松永さんに国体県代表への打診が来る。競技に必要なボルダリングとリード(ロープを使うクライミング)、両方を高いレベルでできる女性として白羽の矢が立ったのだ。「周りは私の半分くらいの年齢の選手ばかり。負けず嫌いなので負けて悔しい思いをするのがいやで、最初は断り続けました」。しかし、自分が役に立つのであればと決意し、それから3年間、選手として出場することになる。そのとき感じたのが、「女性の指導者が少ないし、今後、女性アスリートを支える人材が必要だ」ということ。自身の故障や連盟からの勧めもあり、指導員資格である「スポーツクライミングコーチ2」(日本スポーツ協会公認)を取得し、指導に携わることになった。

教員を志していたころの
思いを胸に、指導者として

 現在は山岳連盟主催のクライミング教室で子どもたちを指導し、国体の際には監督として携わっている。さらにクライミングのスキルをいかし、通潤橋の石垣の雑草を除去する清掃ボランティアにも2008(平成20)年から携わるなど、熊本県の山岳・スポーツクライミングを盛り上げる一翼を担っている。「教員になる夢こそ叶えられなかったけど、今、教室で教えているのが小中高生。子どもたちへの接し方や個々の力の伸ばし方は、学生時代の学びやソフトテニス部での経験が大きく役立っていると思います」と振り返る松永さん。教壇とクライミングウォールの差こそあれ、子どもたちが何でも話せるような、距離の近い「先生」として、温かく見守る日々を過ごしている。「自分のやってきたことが誰かの役に立つのなら、クライミング教室も、ボランティアも、体が動く限り続けていきたい」と、瞳を輝かせながら語ってくれた。

(2023年4月取材)

Memorial photo

「絶対に勝ちたいよね」と大会に向けてペアで猛練習した学生時代(写真左)
岩登りの攻略ルートを「課題」として数多く作り、多様なアプローチを「開拓」していった

国体出場時の様子。40代での挑戦だったが、できる限りの準備をして体を仕上げて臨み、県代表としての責任を果たす活躍を見せた

クライミングに興味がある子から国体をめざす子まで、さまざまな子どもたちを教えている

銀杏並木 459号

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