卒業生
クマガクフォーカス KUMAGAKU
FOCUS
自閉の画家である弟とともに
絵で元気と感動を届ける
ギャラリー宏介株式会社
代表取締役
太田 信介さん
Ohta shinsuke
1997年3月
商学部 商学科 卒業
1974年8月、福岡県太宰府市生まれ。福岡県立柏陵高等学校出身。大学卒業後、パチンコ店大手、株式会社ユーコーへ就職。2012年に退職し、弟・宏介さんとともに「絵届け問屋 kousuke」を起業。2020年に太宰府市に「ギャラリーkousuke」オープン。2022年に法人化し、「ギャラリー宏介株式会社」代表取締役に。同年、著書『僕らは「きょうだい」で起業する:自閉の画家・太田宏介と僕』(梓書院)を出版。
テレビドラマでの採用で
著書も大きな話題に
2022年、『僕らは「きょうだい」で起業する:自閉の画家・太田宏介と僕』(梓書院)が刊行された。著者は本学商学科卒業生の太田信介さん。大手企業を退職し、弟とともに会社を立ち上げた自身の歩みを記したビジネス書であると同時に、障害のある兄弟姉妹を持つ立場―“きょうだい”としての日常や思いを率直に綴った書としても、多くの共感を呼んだ。信介さんの弟・宏介さんは自閉症の画家であり、彼の作品販売や展覧会企画を行う会社を兄弟で設立している。
刊行当初からテレビ局のドキュメンタリー番組などで紹介され話題を集めていたが、2024年にはTBS系列で放映されたドラマ『ライオンの隠れ家』で宏介さんの作品が採用され、さらに大きな注目を浴びた。そんな宏介さんの創作活動を支えつつ、一つの事業として成り立たせている信介さん。“きょうだい”としての生活から進学、起業、そして現在の活躍に至るまで、幾多の苦悩と挑戦を乗り越えてきた。
充実した学生生活のなかで
将来への道を見つける
福岡県出身の信介さんがクマガクへ進学した背景には、「弟を知る人がいない県外に出たい」という思いもあったという。知的障害を伴う重度自閉症の宏介さんの“きょうだい”として暮らすなかで、ときにその存在を重く感じたこともあった。「弟のことを嫌いではありませんでしたが、学生時代は友人に弟の存在を知らせなかったほどです」と当時の胸中を語る。
一方で、学生生活そのものは「楽しい思い出ばかり」と語る。卒業論文では、当時計画が進んでいた九州新幹線鹿児島ルートを題材に現地調査を実施。サークル活動では観光事業研究会に所属し、各地を訪ねるとともに生涯の友人を得た。「自分のためだけに時間を使えたことが、学生時代における最大の喜びでした」と信介さんは振り返る。
そして、アルバイト経験がその後の進路を左右した。時給の高さと賄いが理由で選んだパチンコ店での仕事は、想像以上にハードだったが、上司や仲間に恵まれ4年間続けることができた。「アルバイトの時間が楽しく、店長が格好よく見えたこともあり、当時パチンコ業界九州最大手の株式会社ユーコーへの就職を決めました」。新卒でこの業界に進む人は少なく、親の反対を押し切っての決断だった。就職後は社員としての厳しさを痛感するものの、「自分の意思で選んだ以上は逃げない」と決意し、28歳で店長に昇格するなど着実に成果を重ね、15年間で16回の転勤を経験した。
自分の意志を貫きとおす
挑戦の連続
社会人として年月を重ねるなかで実家に帰る機会も増え、宏介さんが10歳から描き続けている絵に改めて触れるようになった。仕事に疲れ果てて帰省したある日、宏介さんの絵に癒やされ、自然と涙を流した自身の姿に驚いたという信介さん。さらに2002年、福岡市で開催された「ナイーブな絵画展」で、世界的な画家の隣に掲げられた宏介さんの作品が多くの人を惹きつけている光景を目にし、強く胸を打たれた。「見る人を元気にさせる弟の絵の魅力を、もっと多くの人に知ってほしい。そして、その創作を支え、広めるような事業を自分がやる」と心に決めた。
9年にわたる構想を経て、2012年、37歳で起業。安定した収入と生活を手放す決断に、周囲からは当然反対の声もあったが、「9年前から決めていたことなので、気持ちが揺らぐことはありませんでした」と信介さんは語る。
“きょうだい”の経験を
多くの人の支えに
未経験の芸術業界に飛び込み、絵画販売や展覧会企画に加え、作品を店舗や施設にレンタルする新しい仕組みを模索。会社員時代は営業先へのアポ取りや名刺交換すらしたことがなく、営業活動には苦労したが、挑戦を恐れない心と粘り強さを武器に顧客を開拓。やがて百貨店やショールームとの契約を重ね、事業は徐々に軌道に乗った。展覧会での宏介さんによるライブペインティングや、コロナ禍でのオンライン絵画レンタルなど新たな試みも実現し、起業から10年目には法人化を果たした。「競合他社がいるわけではないため、自分たちだけのビジネスの形をどう確立するかが勝負。それが難しさであり、やりがいでもあります」と信介さんは語る。
起業後も宏介さんの絵の魅力や創作活動は変わらないが、宏介さんは絵を「仕事」として意識するようになり、オーダー絵画の受注なども責任感を持って描くようになったという。そして信介さんは、自身と弟の経験が、世のなかに多くいる“きょうだい”の支えになるのではないかと考え、「きょうだいの会」の支援活動にも取り組み、冒頭で紹介した著書も執筆した。「弟の絵をとおして多くの方に元気と感動を届け、会話を生み出すきっかけにしたい。そして、障害に関わるすべての方を支えたい。この両方が、私の使命だと思っています」と信介さん。
テレビドラマに採用されたことで宏介さんの知名度はさらに高まったが、今後は海外での展示会なども視野に入れている。「弟が世界的に評価される画家になるための手助けをしていきたい。宏介の絵にはそれだけの魅力と価値があると、誰よりも私が知っていますから」と、信介さんは力強く語った。
(2025年9月取材)
Memorial photo
信介さんが高校生、宏介さんが小学生のころ。お姉さんがいる3人兄弟。バスや電車が好きな宏介さんをよくバス営業所に連れて行っていた。
2021年には大丸福岡天神に「太田宏介カフェギャラリー」を出店。2人の後ろにある絵は「ノボタン」(2013年 F30 アクリル)
テレビドラマ「ライオンの隠れ家」の第一話で登場したライオンの絵。ドラマの制作スタッフが信介さんの著書を読んだことをきっかけに、ドラマの構想が企画され、宏介さんの絵が採用された。
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