新聞広告「まだ見ぬ君へ。」 episode.1 風は吹いている

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一番大事なものを大事にするためにクマガクを選んだ。

競技人口の9割以上が女性といわれるバトントワーリングの世界。幼い頃から数少ない男性バトントワラーとして注目を浴び、世界の舞台でも入賞経験を持つ米岡宝さんは、高校3年生の秋に人生の分岐点に立った。そんな時、「お前は特別なんだから」。そう言って背中を押してくれた恩師と友人がいた。「すべては自分の“軸”であるバトンを続けるため。自分で選んだ道こそが自分らしい」。そう信じて、進学を決意した。

現在の活動内容について教えてください。

 母親がバトン教室(メリーホッパーズ)を主宰していて、物心ついた時からバトントワーリングに夢中でした。現在は福岡に拠点を移し、「ゴールデンハーツバトンチーム」に所属。教室をもちながら、アスリートとして世界一をめざし練習にはげんでいます。実は日本のバトンはとてもハイレベルで、世界大会も日本勢が上位を独占するほど。まず“日本一”を獲るのが非常に難しいスポーツなんです。

 

高校3年生のとき、その先の進路に迷われたとお聞きしました。

 バトンにはプロリーグがなく、「バトンを仕事にする」という道自体がひらけていない状態。なので高校を卒業したら、いち社会人として何か仕事をしないといけないんだろうなという漠然とした思いがありました。大学に進学した理由も、自分の“軸”であるバトンを絶対に続けたかったから。アスリートとしての自分に何かいかせるものを大学で手に入れたいという思いからでした。

当時のご友人とのエピソードについて教えてください。

進学校だったので、9.9割の生徒が大学進学。まわりの友人もいつの間にか部活を引退して、一気に受験モード。それを見たときに、自分だけバトンばかりして、いつまでもふらふらしているように見えて。これでいいのか迷いはじめたんですよね。ただその時仲の良かった友人が、「お前にはバトンがあるじゃん。これまで積み重ねてきたものがあるんだから、違う選択をする意味がわからない」ってはっきり言われて。「バトンで輝いているのが、お前だろ?」って。

 

恩師からの言葉も進学の決め手になったとお聞きしました。

高校3年生くらいから結果が出るようになってきて、もっともっと、とバトンに貪欲になり始めたころでした。3年生の時の担任の先生が、そんな僕をずっと見てくれていた先生で、本当に支えられたんです。実際ほかの先生からは、面談の時に「いつ受験モードになるんですか?」って言われたこともありました。でもその担任の先生は、「お前は特別だから応援したい」って言ってくれて。その信頼していた先生が紹介してくれたのがクマガクでした。

実際に進学されていかがでしたか。

僕が憧れていた選手たちも大学時代にバトンに全力を注いだことでさらに実力を伸ばしていたので、ロールモデルのように思っていました。実際大学に進学したことでさらに競技に集中できて、この4年間は僕にとって本当に大きかった。変化したというか、“定まった”感じ。ずっと夢だった日本代表に初めて選ばれたのも大学1年生のときです。想像していたよりずっと大学側のバックアップも大きくて。マイナースポーツなので世界大会への渡航費なんかもすべて自費なんですが、費用面でのバックアップをいただいたこともありがたかった。それがあったから、毎年世界へ行かせていただくことができたんです。

 

4年間でどんな想いが強くなりましたか。

アスリートとして技を磨くのはもちろん、パフォーマーとしての活動をスタートしたのも大学時代から。「男性でバトンを続けるのが恥ずかしい」、そんな理由から競技をあきらめた仲間もいました。女性だから、男性だからということに縛られることなく、僕がバトン界で新しい道をひらいていく存在になりたいと。漠然と「バトンを好きだからやりたい」という気持ちを超えて、「誰かのためにやらないといけない」。そう思えるまでになったのも、間違いなくこの4年間があったからです。

 

同じような悩みを持つ学生にメッセージをお願いします。

本当に好きなもの、やりたいことがあるならば、それを18歳の段階であきらめるのはちょっと早い。僕は今26歳ですが、まだ夢を追い続けています。もし18歳のタイミングで僕もバトンをあきらめていたら…と思うとすごく怖い。選んだ先々で、新しい出会いが必ずあるもの。もちろん不安はあると思うけど、「これだけは手放せない」と思えるものを選んでほしいし、そこがブレなければ、きっと大丈夫だと思います。

PROFILE
米岡 宝
Yoneoka Takara
社会福祉学部第一部ライフ・ウェルネス学科(2019年3月卒業)